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甲子園って、どんな所??

      2015/10/20

甲子園といえば、阪神タイガース高校野球の代名詞的な存在ですが、正式名称は、阪神甲子園球場といいます。元々は、兵庫県西宮市に、全国中等学校優勝野球大会の開催を主目的として建設されました。そして、日本で最初に誕生した大規模多目的野球場であり、収容人数は日本の野球場の中で、最大収容人数を誇る、マンモス級の球場なんです。意外と知らない阪神甲子園球場についてご紹介していきますね。

甲子園球場の歴史

完成するまでは、枝川を廃川とした後にできた埋め立て地にあったことから、枝川運動場と名づけられていましたが、この年が十干十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)という、60年に1度のとても縁起の良い年であることから、後に甲子園大運動場(こうしえんだいうんどうじょう、看板表記は阪神電車甲子園大運動場)と命名されたようです。起工式は1924年(大正13年)3月11日に行われ、同年8月1日に竣工式が行われました。
当初は、甲子園大運動場とゆう名前からも分かるように、野球専門の球場ではなくて、陸上競技場やラグビーの球技場としても利用されることを念頭に設計されていました。そのため、当時だけでなく、現在に渡り大規模な球場になったといえます。

戦争を経験し

太平洋戦争の最中でもプロ野球の球場として、使用されていましたが、戦争が激化していく中でプロ野球をしているどころではなくなり、1945年1月を最後にプロ野球の使用を終えました。その後は、軍が接収し金属類を回収されたり、周りの施設までが余儀なくされたようです。1945年8月には、空襲も受けています。
戦後は、米軍の接収されることになり、公式戦が行えませんでしたが、翌年の1946年からは、春・夏の中等学校野球、プロ野球が再開され、甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦)も始められたようです。
そして、1948年には大阪タイガースが甲子園を専用球場とし、試合のほとんどを甲子園球場で行うことになります。

長期にわたり改修工事を行う

その後は、度々改修工事を行うことになる。ナイター施設や座席、スコアボード等。やはり新しい球場も、全国にたくさんできていく中で、戦争を体験し、施設の老朽化や陳腐化による懸念があり、建て替えや大規模な改修工事だけでなく、ドーム球場化にする案なども出ていた。ですが、阪神大震災やバブルが崩壊したことにより、それらの計画は白紙になったといわれております。
そして、2007年から3年間にかけて、大規模な改修工事を行うことにより、現在の甲子園球場の外観になり、内観もバリアフリー設備を取り入れることで、収容人数は47,808席になったようです。それからも、スコアボード左側をフリーボードLEDビジョンに変えています。

高校球児が持ち帰る甲子園の土

内野グラウンドは、鹿児島、岡山、鳥取、大分など日本国内の黒土と中国福建省の白砂をブレンドしている独特の黒土です。季節の雨量や太陽光量などを考慮し、その黒土と白砂とのブレンド具合を変えている。何故かとゆうと、激しく飛び回るボールの行方が、スタンドの観客にも見えやすくするための配慮のようです。
いつ頃から定着したかは定かではないみたいですが、高校球児が甲子園での最後となった試合の後に選手が土を拾って持ち帰るとゆう伝統になっています。

まとめ

甲子園球場といえば、阪神タイガース、高校野球と冒頭でいいましたが、それだけでなく歴史的にも由緒ある日本を代表する球場でしたね。戦争や災害や社会情勢をも経験し、幾多の困難を乗り越えている阪神甲子園球場。そんなバックグランドを知ることで、高校野球やプロ野球を見ると、また違った見方ができるかもしれませんね。

参照元:wikipedia:阪神甲子園球場

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